(名古屋工業大学での講演会原稿、1999年11月)


 計測分析センターの井村です。
 いつもは、「高圧ガスの学内保安教育」で、高圧ガスの事故例の解説をしています、今回は、液化機と低温について話をということで、少し戸惑っていますが、ヘリウムの液化機が更新され時でもあり、ヘリウム液化機を保有することの利点を理解して頂ければと思い、話をしたいと思います。
 話の順序として、低温室の紹介、ヘリウムガスについて、物を冷やすということ、液化の歴史、最近の低温工学の状況、今回導入されるヘリウム液化機、研究支援体制の話をしていきたいと思います。
 計測分析センターの各部門には各種測定装置がありますが、低温室にはまだ測定装置というものがありません。寒剤用液化ガスとして、液体窒素・液体ヘリウム、液体燃料として液体水素の学内供給と液化ガスの取り扱い指導・高圧ガス関係の安全教育を主な業務としています。 特に液体水素に関しては、国立大学では、唯一の学内供給を可能にしています。液体水素については後ほどまたお話しします。
 皆さんに配付した資料に、各種液化ガスの物性値表がありますので、何かの参考にでもして頂ければ幸いです。

 低温室でよく学生から聞かれることが2つあります。1つは、ヘリウムガスはどうやって作るか?2つ目は、液体ヘリウムはどうやって作るのか?です。
 ヘリウムガスが太陽のスペクトル分析で発見された当時、どの様にしてヘリウムガスを生成していたかよく分かりませんが、今では、数%から10%程度ヘリウムガスを含んでいる天然ガスから分離精製して作られています。ここに地球上に存在するヘリウムガスの状況を示します。このうち経済的に利用できるのは、天然ガス中のものだけと言うことです。
 空気中にはヘリウムガスは1/20万しか含まれていません。ヘリウムガスが有限の資源であることがお分かり頂けると思います。80年代までは、液体ヘリウム使用後のヘリウムガスを大気中に使い捨てていたアメリカでも、90年代になって、回収し再液化利用をするようになっています。
 講談社ブルーバックスの「絶対零度への挑戦」メンデルスゾーン著大島恵一訳には、オンネスがヘリウムの液化に成功した時のヘリウムガスはモザナイトと言う砂から抽出されたとあります。「彼の兄弟の指令で、アムステルダムの商業情報局を通じて大量に、しかも有利な条件で入手した」とあります。が、その製造方法に関してはふれていません。その前には、競争相手のデュアーとレノックスはネオンからヘリウムを分離しようとして失敗し十分な量のヘリウムが手に入らず、ヘリウム液化の競争に負けたとあります。

 2つ目の質問に対する答えは、液化の歴史ですることにします。
 私たちが物を冷やすとき一番簡単な方法として、水に漬けると思います。では、その水を冷やす方法はというと、今では冷蔵庫に入れるとか氷を入れるとか言われると思いますが、冷蔵庫や氷がなかった頃はどうしたかという問題です。
 エジプトのピラミッド内部に描かれた壁画に、奴隷が水の入った素焼きの水がめをうちわで扇いでいるものを見た人も多いことと思います。この様に水瓶の水を冷やしていました。また、冬になっても結氷しないインドでは、氷を作る方法として、空気の乾いた涼しい夜を選んで、藁の上に水を入れた皿をおき、藁に水をまいて一晩おくことで氷を作っていたと言われます。(インドの氷田)
 どちらも経験的に、この様な方法を見出したものと思いますが、水の蒸発潜熱を利用して、温度を下げているとお分かりのことと思います。
 では、ガスはどうすれば温度が下がるかを考えると、より低温のものに接触させるのは当然として、ガスにピストンを動かすとかタービンを廻すとかの仕事をさせることで、温度が下がると習われたと思います。
 では、固体の場合はどうかと考えますと、体積変化が殆どないため仕事をさせることもできず、温度を下げるためには、より低温のものに接触させる方法しかないように思えます。このことが、低温の液化ガスの必要性の答えだと私は考えます。
 温度を下げる方法として、16世紀になると、水に硝石(硝酸ナトリウム)を溶かすと温度が下がることが発見されました。17世紀に入ると、氷と硝石、氷と食塩を混ぜることで、氷点以下の温度を作ることが可能になりました。これらは、硝石や食塩の溶解の潜熱を利用したものです。1607年にイタリアのベニスでハサンクト・サンクトリアスが雪と食塩を重量比3:1で良く混ぜ合わせることで、当時としての最低温度-22.4度を作りました。その後100年以上に亘って、この温度は人工的に作ることができる最低温度でありました。
 少し話がそれますが、この-22.4度を零度とし、摂氏38度を100度とする温度目盛りがドイツの物理学者ファーレンハイトによって作られました。これが、華氏温度目盛りです。この華氏温度が作られた1724年当時ではまだ-22.4度が最低温度でした。現在国際実用温度目盛りとされている摂氏温度目盛りは、1742年に、スウェーデンの物理学者セルシウスによって、水の氷点を零度、沸点を100度として定義されました。
 今では、摂氏温度と華氏温度については、
   F=(9/5)C+32
という関係式で定義されており、導入当時とは少し違っています。また、熱力学等で現在使用されているケルビン度は、1848年にイギリスの物理学者ロード・ケルビンがカルノーの可逆サイクルの熱効率に関する論文に基づいて導入したものです。ケルビン度は、絶対温度とか、熱力学的温度目盛りとかも呼ばれるのはこのためです。量子力学的には、ケルビン度にボルツマン常数kをかけた値は、物質粒子1個が持つ熱運動のエネルギーと考えられています。
   ボルツマン常数k=1.38×10^-23J/K

 温度目盛りの話はこのくらいにして、ここからは熱力学の発達につれて進んできたガスの液化の話を含めて低温の生成の歴史を話していきます。
 ここまでは、低温生成に利用してきたのは潜熱でしたが、ここからは熱エネルギーを如何に減らすかという方法で低温を生成することになります。先ず、話は、蒸気機関の発達に触れなければなりません。蒸気機関は気体の熱エネルギーを力学的エネルギーに変換するものであることはご存知のとおりです。しかし、作用ガスである蒸気に着目すると、蒸気は仕事をすることで、熱エネルギーを減少させています。
 1695年にイギリスのパパンによって考案された、蒸気力を揚水ポンプへ利用する試みから始まり、セバリー、ニューコメンの改良を経て、1765年のジェームス・ワットの分離凝縮器付蒸気機関の発明に至る蒸気機関の発達と共に、熱の本質についての考え方が、変わってくるようになります。
 1798年になって、ドイツ人のルンフォードが「熱の本質が運動であると考える以外に、それ以上はっきりとした概念をつくることは、不可能とは言わないまでも非常に困難である。」「熱素説は燃素説と同様、墓穴に葬られるのも遠からぬことと存じます。」と初めて熱の本質について言及しています。
 気体の液化については、1802年にイギリスのジョン・ドルトンが「全ての気体は液化できるであろう、ということはまず疑いのないことである。それは、低温と高圧の下で可能になるにちがいない。」と現在の考え方と同じことを予言しています。
 1824年にフランスのカルノーが蒸気機関の効率を論文にしていますが、20年後にケルビンによって、初めて認められました。
 1861年にジュール=トムソン効果の測定が行われています。
 このドルトンの予言を1863年にフランスの医師アンドリュースが炭酸ガスの圧力と温度を変えることで、液化する実験していて、炭酸ガスの臨界温度30.9度を発見しています。この時アンドリュースは「本当にガスとして存在している物質だけだ永久ガスであって、ほかの残りは液体となるべき物質の蒸気にしかすぎない。」と自分の実験結果から結論づけています。(どうもここで言われている永久ガスは、窒素・酸素・水素・メタン・エタン・一酸化炭素らしい。)
 このころ低温生成の冷凍機といえば、アンモニアを利用した吸熱式冷凍機でありました。まだ機械的精度が低いために、圧縮機を使う方式は難しかったためであります。つまり、ガスの液化を可能にしたのは、理論と機械工作の発達が必要であったことが分かると思います。
 1870年代になって、圧縮式冷凍機がドイツのリンデ、アメリカのボイルによって実用化します。このころに冷凍機が発達した背景には、ジャガイモと牛肉の運搬の必要性があったためと言われています。
 1878年に初めて、ワットの蒸気機関の原理を高圧空気に換えて、スイスのピクテが断熱膨張実験を行っています。
 1895年になって、現在の液化機でも使用されている、対向流式熱交換機とジュール=トムソン膨張を使用した空気液化機がドイツのリンデとイギリスのW.ハンプソンによってそれぞれ独立に作られました。
 1898年にデュワー瓶の発明者であるイギリスのサー・ジェイムス・デュワー教授によって当時永久ガスと言われていた水素の液化がなされました。 この後、最後の永久ガスと言われたヘリウムの液化競争がこのデュワー教授とオランダのカマリン・オンネス教授の間で繰り広げられることになります。1908年7月10日にオンネス教授が勝利を収め、デュワー教授は低温から手を引くという結果になります。

(カスケード法の液化機)
 この頃の液化の方法は、カスケード法と言われるもので、ガスの逆転温度以下まで圧縮ガスを順に冷やしてから、ジュール・トムソン膨張をさせて液化していく方法です。ヘリウムの液化には、先ず空気を液化し、つぎに水素を液化して、それからヘリウムを液化します。
 ヘリウムの液化に成功したオンネス教授は、いろいろなものを液体ヘリウムで冷やして、電気抵抗を調べているうちに、水銀で4.15Kまで冷やしたときに突然電気抵抗がゼロになる現象を発見しました。しかし、1911年の発見当時は、オンネス教授自身この現象を理解できなくて、1913年になって初めて、超伝導(Superconductivity State)という表現を用いています。
 この超電導現象の理論的説明は約半世紀後の1957年にバーディン、クーパー、シュリーファーによってBCS理論としてなされています。
 液化機の話に戻りまして、1930年代になって、イギリスのモンド研究所で、ロシア人のカピッツァが膨張エンジン式の液化機を開発しましたが、取り扱いが非常に難しいもので、一般には広まりませんでした。この膨張エンジンを用いる方式が現在の液化機の原型となっています。
 これをクロード方式(クロードサイクル)と呼び、今度の液化機もそうです。その後コリンズとマイスナーの二人が連続運転可能な液化機の改良に努め、膨張エンジン式の液化機を実用のものとし、世界中にその方式の液化機が広まりました。
 1950年代になって、オックスフォードのシックススミスらによって、膨張タービン式液化機が開発され、現在の液化機の主流が出そろうことになります。
 名工大に設置された液化機は、初代が、オランダ・フィリップス社製のカスケード式液化機、2代目がイギリス・BOC社製膨張タービン方式、3代目が今回更新されるもので、イギリス・リンデ社製の膨張タービン方式です。

 この様にして、極低温を自由に作れるようになったことで、20世紀後半になって「低温工学」という学問分野が発達してきました。
 まず最初に、低温工学という学問分野で対象としている温度は120K以下であり、さらに液体ヘリウム以下の温度領域を「極低温」と呼ぶことが慣例となっています。
「低温工学の木」
 この低温工学の木の図はどこかで見られたことがあるかもしれません、低温工学という学問が如何に多種多様な応用分野を持つかを直感的に理解するの非常に役立つ物です。低温の分野で画期的なことと言えばやはり超電導であると思います。
(超電導の発見者はヘリウムガスの液化に最初に成功したオランダ・ライデン大学のカマリン-オンネス教授であることは有名です。1911年のことでした。)

 ここで、低温工学協会が25周年記念事業として作成した超電導についてのビデオを10分ほどお見せします。

超電導を実用化するためには、超電導材を細線化し、超電導状態を安定化させることが必要でした。しかしその問題も60年代には解決し、ニオブ-チタン線等の様な実用線もでき、NMRの性能を飛躍的に向上させたり、磁気浮上列車等が現実のものとなりつつあります。
 超電導マグネットを利用したNMR(ニュクレア・マグネティック・レソナンス 核磁気共鳴装置)は本学にも7台あります。NMRは、磁界に直交してかける高週波磁界の周波数を大きくすることでより分解能が向上します。このNMRに関しては、タンパク質の立体構造等の解明を目的として、1GHzのものが金属材料技術研究所と日立製作所の共同研究で開発が進められています。ここでの問題は、23.5T以上でも安定しているマグネット材の開発であり、解決法として、超電導マグネットと常電導マグネットを組み合わせる方法とか、金属系超電導マグネットと酸化物系超電導マグネットを組み合わせる方法とかが検討されている。この9月末に37Tの世界最高磁場が達成されたとのニュースが低温関係のメーリングリストに流されましたから、近いうちに1GHzの超電導NMRも完成のニュースが聞かれると思います。
 隣の名大病院のような大病院では、超電導マグネットを利用した断層診断装置(MRI、NMR-CT)があります。
 今年に入ってからリニアモーターカーが人間を乗せて、実験線でではありますが、毎時500キロ以上で走行試験をしています。これは最近の新聞に載っていたものですが、今はすれ違いの実験をしているようです。
 15年ほど前から研究され始めていた、MHD(マグネット・ハイドロ・ダイナミック)発電は耐高温材料の開発待ち等の理由で現在一時中断状態ですが、発電効率のことを考えれば、是非とも実用化したいものです。また、超電導マグネットの強磁場に強磁性体を出し入れすることで、熱サイクルを作り出す磁気冷凍機も研究室レベルでは開発されています。
 マグネットから離れてもまだ本学にはありませんが、ジョセフソン素子を利用したSQUID(Superconducting QUantum Interference Device 磁束検出装置)はすでに名古屋大学に導入され、本学にも利用者がいると聞いています。他にも、超電導は、スーパーコンピューター、無ロス送電等利用される物です。超電導は今のところ液体ヘリウム温度でしか実用化されていないことが残念です。
 今から13年前に発見された30K以上で超電導現象を示す高温超電導体が液体窒素で冷却可能な80K以上で実用化できれば、その応用分野は飛躍的に広がると思いますが、実用段階には時間がかかりそうな状態ですが、そうなった時、超電導は、一般的なものになると思います。
 それでも、SQUIDに高温超電導体を利用する試みはいろいろされています。最近の新聞に載った記事ですが、ガン細胞検出にSQUIDを利用しようという医学方面の試みは興味を惹かれるところだと思います。
 超電導を離れても、天然ガスを輸入するために液化する技術は20年ほど前から実用化され、愛知県でも知多半島に液化天然ガス基地がすでに造られています。また、その冷熱を利用して、液体酸素・窒素を作ることも可能になっています。最近の新聞に載っていたものですが、今ではこの様な巨大な液化天然ガスタンクも作られています。
 液体窒素の利用に至っては、医学分野での生体保存や外科的な治療(例えば、皮膚科ではいぼ取りに最近では利用されています。)から、冷凍食品の製造・凍結乾燥法を用いたドライ製品の製造などに使われています。

 本学に目を向けてみますと、液体ヘリウムの利用希望者・NMRの利用希望者はこの様に沢山みえます。温度を下げることで、どの様な効果があるかの例として、本学にヘリウム液化機導入もたらした研究である電界イオン顕微鏡の写真を材料工学科の森川先生からお借りしてきました。
 電界イオン顕微鏡の最適温度は、液体水素の20Kと言われています。そのため、液体水素を製造できるカスケード式のヘリウム液化機が、1964年に中部地区では国立大学として初めて導入されました。液化ガスの製造は、当時の「高圧ガス取締法」現在の「高圧ガス保安法」で高圧ガスの製造として、許可・承認を必要としているため、水素液化の承認を取得したことで、現在も液体水素の製造が可能になっています。その後ヘリウム液化機の更新時に、液体ヘリウムとの熱交換型水素液化機を導入し現在に至っています。
 ここに最近の液体窒素を液体ヘリウムの使用量のグラフを示します。
 本学で液体ヘリウムの利用が始まったのは、1979年からで、超電導材の細線化の研究用の寒剤でした。その後、超電導マグネットNMRの導入、低温物性の研究等が行われるようになり、昨年度の実使用量が1500Lにまでなりました。今年度は、2000L程度になると思います。
 では、今度更新される液化機の紹介をしていきたいと思います。膨張エンジン式液化機と膨張タービン式液化機の特徴を少しお話しします。(性能比較表)
 今までの液化機と更新される液化機の性能比較です。(性能比較表)
 今回液化機が更新されることにより、今まで1回の使用量が50L程度に制限されていましたが、数百L単位での連続使用が可能になります。ただこれには問題があり、ガスを回収して使用することが貴重資源であるヘリウムの有効利用に繋がるのですが、現在のように回収バルーン方式でガス回収を行っていては、実験者の負担が増えすぎて、現実的でありません。例えば、100Lの液体ヘリウムを実験で使用して、ガス回収を行うとすると、回収用バルーンを最低でも、40回低温室まで運ばなければなりません。この負担を減らす為に、ガスを使い捨てにするということは、ヘリウムガスを有効利用するために更新された精製装置付の液化機の価値を無に帰することになります。この矛盾を早急に解決するためにも、多くの大学・研究所で設置されているガスの回収配管を整備する必要があります。